1時間前に投稿

例えば、小さい子どもを出して、ただひたすらけなげに酷なことをさせればいい。(装置)

雨の中、知らない街でお母さんを探すとか、いなくなったペットをひたすら探して転んで膝をすりむくとか。

悲しげで大げさな音楽をこれでもかと流す。演技が真にせまっていれば(演出)大抵の観衆は自動的に泣く。

泣くのは快感だから、大抵の観客は泣かされても文句は言わない。

みうらじゅんはそういうのを「涙のカツアゲ」と呼んだ(Always三丁目の夕日を例にあげて)。

2時間前に投稿
23時間前に投稿
「普通」だから「常識」だからというのは、無責任なのだ。「私はこうしたい」「私はあなたにこうしてほしい」と、はっきりと要望を主張するのが、責任ある態度だ。「そうするのが『普通』で『常識』だからそうした」ではない。「『自分が』そうしたいからそうした」という自覚を持つことが大切だ。
23時間前に投稿
motionaday:

Tuesday : TOHRU MiTSUHASHi

motionaday:

Tuesday : TOHRU MiTSUHASHi

23時間前に投稿
23時間前に投稿

magazinewall:

3900 (Montréal, QC, Canada)

(出典: 3900.ca)

1日前に投稿
「言いたい事があるなら、話しなさい」という言葉は、沈黙=話さない、というように、沈黙も返答として扱う危険性がある。反論の準備が出来ていない相手に不意打ち気味にチャンスを渡したつもりでいても、それは優しさでないし、対話しようという姿勢でもない。臆病で卑劣な行動だ。

Twitter / きぃ (via world1984)

突き刺さった・・・

(via tam) (via thinkupstudio) (via usaginobike, tosawan) (via gkojax-text)
1日前に投稿

nipuni:

i have no idea

but i think this describes our relationship quite well

2日前に投稿
『耳をすませばについて』 押井守 1995年

あのね、ちょっとだけ言わせてもらってもいいですか。
この映画は、何一つ救いがない映画ですよ。
実際には、現実には、絶対にありえないことを、思いっきり細部まで
こだわった現実的な日常の世界として描くなんて、反則以外の何物でもない。
(中略)
そして、見た者は大いなる錯覚をする。
「これが、本来の現実の世界ではないのか」、と・・・
そこに描かれているものは何だろう。
高校にも行かずに留学してバイオリン作りを目指す彼氏?
親や先生や同級生に何ひとつ反対されずに壁にも遭遇せずに夢を目指す彼女?
その二人による、あたりまえのように描かれているありえない恋愛の世界?

「いいなあこんな学生生活」
「これが本来あるべき学生生活だったんだ」
「すると俺の学生生活ってなんだったんだろう」

そして、見たものの中に、本来では「ありえなかった現実の世界」が正当化され、
従来の「あたりまえだった現実の世界」が否定される。
本来持っていなかったものをまるで持っていたように錯覚させ、それを否定される。
こんな残酷な作品は無い。
「現実を錯覚させる」ことがそもそもの悪であり、「現実を否定させる」ことはもっと悪である。
これを作った人は、世の中の人たちにとって、悪である。
2日前に投稿
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urbsantiquafuit:

Jan Švankmajer

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Jan Švankmajer

(出典: lafolietreseleve)

2日前に投稿
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gurafiku:

Japanese Poster: Olivetti and Braun. Takeo Nakano. 2013